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マルニ木工 山中社長インタビュー | JAPAN TWO

マルニ木工 山中社長インタビュー

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JAPANTWO(JP2):マルニ木工のマルニの意味を教えて下さい。

山中社長 (山中氏):昭和3年の創業当時は、昭和曲木工場という名前でした。昭和8年に2つの会社が合併し、これから二つの会社で力を合わせて頑張っていこうという願いを込め、マルが2つで「マルニ」という名前にしたそうです。その当時はカタカナの会社名というのは今と比べ珍しい時代だったので、非常にハイカラな名前だったようです。

JP2:木工が入っている理由も重ねて教えて頂けますか。

山中氏:創業者は広島県の宮島出身で、この場所は厳島神社など優れた宮大工達によって造られた建造物が多く残っている場所です。物心ついた時から、宮島の自然や歴史的な木造建築に囲まれた環境で育ったため、自然と本人も木を使って何かを作るという事に惹かれていったのだと思います。
また創業者は小さい時から機械が大好きで製造業にも強い関心がありました。木で家具を作ると決めてからは、ドイツやアメリカから当時日本にはまだ無かったような機械を取り寄せ、それを改造して自分達の家具作りの効率を上げました。当時社内で造られた機械は今でも数多く残っていますし、大切に使っています。機械のことを学ぶために独学でドイツ語を習得してしまう程でしたので、創業者の木と機械に対する思いは相当強いものがあったのでしょう。そういった背景で木工という言葉がはいっています。

JP2:今でも使われている機械は何十年前の物になりますか。

山中氏:古い物だと50年以上前の物になると思います。 私と同じ年の機械もいくつかあって、今でも最前線で頑張ってくれています。

JP2:50年経っても使い続けられているなんてすごいですね。それだけその当時のマルニ木工の家具作りの技術や、機械改造の技術力が高かったのですね。

山中氏:そうですね。木材を切断するためのノコだったり、表面を滑らかにさせるための磨きだったり、当時造っていたものはそういった単純な機械ばかりでしたが、今でも問題なく使えているので丈夫な機械を造る力はその時から既にあったのでしょう。しかし技術力の高さだけでなく、代々先輩方が1つ1つの機械を大切にメンテナンスし続けてくれていたことが、50年も前の機械を使い続けることができているもう1つの理由だと思います。

JP2:当時から工業化するための高い技術力があったマルニ木工ですが、他の企業からその技術力やノウハウを活かして機械を造ってほしいと頼まれたことはありましたか。

山中氏:受注までは無かったですが、当時はどこよりも機械化が進んでいた会社の1つでした。その為、多方面から工業化するにあたっての相談を受けたり、実際に他の会社に指導をしに出向いたりといったことを創業者はよくしていたそうです。そういった意味で、その当時の他の企業が実現できていなかった“工業化”をいち早く実現した、先鋭的な会社であったのではないでしょうか。

JP2:本当に「工芸の工業化」を当時から強く目指していたのですね。

山中氏:はい。創業者は床と畳しかない時代に、日本の住宅文化のレベルを高めるために家具を作り、それを量産化しようと志していました。しかし当時家具というのは高価なものでしたから誰でも気軽に買える商品ではありませんでした。家具作りの工業化、すなわち効率化は家具を量産することでもあります。そうすれば値段も下げることができる。そういったことからモノ作りの技術力は落とさずに工業化をする。これを本気で目指していた方でした。もし今誰か1人会いたい人に会わせてあげると言われたら、一番創業者に会ってみたいです。何を考えていたのか、なぜそんなに家具に対して、モノづくりに対して情熱を持っていたのかを是非聞いてみたいです。

JP2:創業当時から様々な家具を作ってきたマルニ木工ですが、変わらずに受け継がれてきたことはありますか。

山中氏:やはり「工芸の工業化」というモットーですね。ほんの一部の富裕層しか買うことのできなかった家具を量産化しました。ただその一方で量産化しただけでは家具の良さは伝わらないので、そのような工芸的な部分をうまく工業化すること。そのバランスを保つということを大切に受け継いできた会社なのではないかなと思います。今も昔もメーカーとして生き残ろうという覚悟で私達は働いてきました。常日頃、そのバランスは本当に大切にしていますし、強く意識している部分です。

ただ常にそのことを意識して昔から今まで働いてきたかというと、そういうわけでもありませんでした。当社の売り上げがピーク時には年商300億円を超えていた時代がありました。いわゆる、バブル景気です。そして、その後のバブル崩壊により、少なからずその影響を受けることになりました。そのため、安い労働力を求めて、中国やタイに工場を建設しました。「工業製品」を作る体制にシフトしていきました。他の家具メーカーではそのような戦略をとっていなかったため、一時的には売上が戻ってきました。しかしそういうものは誰にでも真似できてしまいます。そのため再び、会社として伸び悩むようになってしまいました。やはり私達はメーカーとして生き残ろうと頑張ってきた会社ですから、このままではダメだと確信しました。お客様に届けていくものは家具であって工業製品ではないのです。ただ安さにこだわるためだけに工業化をしていてはいけない。「工芸の工業化」を目指していかなければいけないと再確認しました。この気持ちはこれからも当社で変わらずに受け継いでいきたい想いです。

JP2:現在はタイや中国の工場を手放し、日本に工場を集約させた一番の理由を教えて下さい。

山中氏:もともと私は当社で働く前は、銀行員で不良債権の処理を担当していました。そのため、この会社の財務資料や経済状況を見た時に、このままでは長くはもたないなと感じていました。それくらいにその当時は深刻な経営状態でした。当時は潰れてしまう前に何とか持ち直させないといけないという気持ちが全面にでてしまい、とにかく何か儲かることをしていかないといけないという焦りがありました。それに最初、私はデザインにも木にも家具にも興味がありませんでした。そんな人間がいきなり来て、まずしたことというのはリストラでした。それは本当に今思うと経営者として、その当時働いていた人に対して、ひどいことをしてしまったという気持ちです。それだけ経済的に苦しかった当時は、タイや中国の工場は当社の強みだと考えていました。安い労働力で、それなりに技術が伝わって良い物ができると。しかし、だんだんと海外の工場と日本の工場の雰囲気が違うと感じ始めるようになりました。そしてそれは、工場で働いている職人たちの家具に対する意識の違いだと気づきました。
当社の職人達は家具が純粋に大好きな人たちばかりです。そういった人たちと一緒に仕事をしていくうちに、私自身だんだんほだされてというか騙されてというか、初めの頃は全く興味が無かった木や家具が好きになっていきました。日本の工場にはそういった家具づくりに対して真剣に向き合っている職人達がいて、魂を込めて家具を作っています。
しかし、海外の工場には彼らのような気持ちを持って家具に向き合っていた職人は少なかったと感じます。もともと安く家具を作ることが目的で造った工場でしたから、彼らに対しても「安く作れ」以外の指示ができず、そうなるとどうしても中国やタイの工場では日本の工場で作られるような魂のこもった家具を作ることができませんでした。そんな工場は持っていても仕方ないと思い、工場を売却し、広島に全ての工場を集約させました。

JP2:「安くつくれ」の指示しかできない、魂がこもらないというのは海外の工場の方達とマルニ木工との間に言葉の壁があったからですか?それとも文化的背景が原因ですか。

山中氏:感じたのは文化の違いですね。私はメイド・イン・ジャパンを積極的に海外に打ち出す気はありません。というのも、メイド・イン・ジャパンですと言ってしまうとみんな、漆を塗って西陣織を張って、そういうことばかりしてしまいがちな気がするんです。そうではなくて、例えば良いイスがあったとしますよね。そこでそれに海外の方が座ったり触ったりして、ふと東洋人の私達の顔を見上げて「お前ら日本人かい?」って言われるのが嬉しい。「さすが日本人、ここまでやるんだね」と。私はそれが本当のメイド・イン・ジャパンだと思います。中国の人たちやタイの人たちはチャイムが鳴った瞬間に作業を止める、でも日本人の職人達は作業を続けるでしょう。そんなどこか日本人的な感覚みたいなところがもしかしたら当社で作っている家具に宿っているのではないかということを私は感じたいし、感じているつもりだし、それはお客様にも伝わっているはずだと思っています。私はモノづくりに直接は関わってはいないですけれども、ここの職人たちのことは本当に尊敬しています。そういった日本人のモノづくりの対する向き合い方、そういったことが海外の工場ではなかなか伝わらなかったというところで言葉というよりも文化、考え方の違いを感じました。

JP2:マルニの職人さん達は職人魂を持って、自分たちの作業に誇りをもって働いていらっしゃるのですね。

山中氏:そうですね。そういう気持ちで働いていて欲しいなと思います。私が入社したころは売れるものを作れという方針でやっていました。そこで何をしたかというと、タイや中国に工場を造ったわけですね。その工場では色々な家具が作られましたが、それらを見てこんなものを誰が買うのだろうとその当時思ってしまったのをはっきりと覚えています。そういうモノづくりをやっている以上、職人たちも「これを作ったのは自分だ」という誇りを自分の作っている家具に対して持てないじゃないですか。今でいうと、例えば先頭工程の職人たちはただ一枚の大きな板状の木を必要な大きさ、形に切っているだけかといったらそうではなくて、その切った木目を揃えて次工程に渡すようにしてくれています。どの工程の所にいる人たちもこういった細かいところにまで気を配って作業を行ってくれています。そういったあなた達の作業活動が、この左右対称のアームの木目になっているのだ、ということを伝えていくのが私の役目であり、営業、開発部門の仕事であると考えています。細部にまでこだわって作り出した家具が、世界中から認められているのだという事をしっかりと作り手である彼らに伝え続けていくこと。そうすることで、ここで働いている100人を超える職人たち全員が、命を懸けて家具を作るぞ、という気持ちになってくれるのではないかと思いますし、そういった気持ちで誇りを持って自分達が作っている家具に向き合えるようになってほしいなと願っています。

JP2:今後も工場はこのまま広島に拠点を置いて、続けていくおつもりですか。

山中氏:そうですね。社会が許してくれている限りは、「工芸の工業化」ということだったり、日本人の甲斐性というか、なぜか細部までこだわってやってしまう感じということだったり。そういった、ずっと日本の職人やモノづくりに関わってきた人達が大切にしてきた想いというものはここ、広島でこれからも引き継いでいきたいと考えています。日本にもそういったメーカーがたくさんある中で、マルニ木工らしさってなんだろうと考えた時に、それを言葉で表すのはとても難しいですが、ただ現場にはそれが確実に脈々と受け継がれています。同業他社さんに工場見学して頂いた際に私が言われて一番うれしいのは、「マルニさんは仕上げが本当に良いですよね」と言って頂けることです。仕上げが良いというのは最後の一磨き、そこを磨くか磨かないかというぎりぎりのところのことなのだと思います。だから同業他社だと許されるが、マルニだと許されない。そういったところを大事にしていこうと思うと、当社が生まれた日本の広島というこの場所で、これからもやっていきたいなと思います。

JP2:最後にマルニ木工に対する山中社長の想いをお聞かせ下さい。

山中氏:私達がビジョンとして掲げているのが、「100年経っても世界の定番として認められる木工家具を作り続ける」というものです。世界の定番を作ろう、というのは深澤さんが仰った言葉ですが、最初にその言葉を聞いた時は率直に大きくて重いと感じました。今世界の定番の木製椅子というと、たぶんYチェアなどが挙げられると思います。でもそれらの家具のほとんどは1950年前後に作られたイスでそれ以降はそういった世界の定番になれたイスはありません。そこで、「お、世界の定番になりそうなイスが出てきたぞ」と思ってもらえるようなイスを私達が作っていけるようになりたいし、イスに留まらずそういった家具をどんどん生み出していけるようになりたいです。加えて1つビジョンがありまして、木工家具として世界でブランドを確立している日本の家具メーカーはまだいないので、当社が世界中の木工を志す人が一度は訪れてみたいと思ってもらえるような場所になればいいなと思います。そうなるとカフェを作ったり、一般の人たちのファクトリーツアーがあったり、ワークショップを開催したり、宿泊施設まで作ったり、もっと言うと有名な海外のインテリア雑誌を携えてなぜかこんな山奥の広島に来たりする。そこには普通に作業着を着たたくさんの職人達が仕事をしている。だけどどの職人達もモノづくりに対しては本当に真剣で、そんな職人達がめちゃくちゃかっこいい。そういう場所になっていければ働いている人たちのモチベーションもプライドも上がり、妥協しないモノづくりをもっともっとしていってくれるようになると思います。デンマークにはそんな木工に携わっている人たちみんなが行きたいと思う場所があります。そんな世界中の人が行ってみたいなと思う場所をここで、私達も作れたら本当に楽しいだろうなと思います。私は、「夢は実現しないと意味が無い」と思っています。あと13年後でマルニ木工は100周年を迎えるので、それまでにこの夢を実現させるためにバリバリやってやろう!という気持ちです。ただ私1人の力では実現できることではないので、マルニ木工社員みんなと一丸となって作り上げていけたらいいなと強く思っています。

株式会社マルニ木工

Websitehttp://www.maruni.com/jp/

 

 

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